寸劇３…西暦378年…〔離脱〕と〔到着〕
〔到着〕とは、「西暦378年1月16日、西からの人々がティカルに到着して、王を葬った」ことを意味します。1996年に、マヤ文字の研究家であるデヴィッド・スチュアートDavid Stuartが発表した「The Arrival of Strangers（見知らぬ人々の到着）」は、今日に至るまで参照される秀逸な論文です。彼はティカルの石碑31の翻訳を基礎にして、謙虚に、しかし驚くべき解釈を報告しました。
なお、〔到着〕に関しては「テオティワカンの大軍が一夜にしてティカルを乗っ取った」というハリウッド映画的な説もありますが、1,000kmの行軍がティカル政府に知られないはずはありません。マヤ文化の性質から考えて、当時の大国であるティカルがすぐに降伏したはずはありません。しかし、大規模な戦はどの石碑にも刻まれていません。建築物の破壊や焼き討ちの痕跡もありません。ですので、全く別の状況があったと思われます。
〔到着〕は〔シヤフ・カック〕らの輝かしい記録です。逆の方向から見れば、テオティワカンからの〔城砦〕による〔離脱〕であり、テオティワカンに残された人々にとっては苦々しい出来事だったでしょう。
では、寸劇３は、378年の61年前から始まります。
西暦317年
15歳の〔ウネン女王〕は、亡き父〔カウィール1世〕の強い意向により、ティカルの玉座に着きました。その陰で、男性の〔ホル〕は自分が選ばれなかったこと、こともあろうに女性が即位したことに反感を抱いていたました。そういう〔ホル〕を、後ろから、「何かをやらかしそうだ」と、〔南ティカル〕のGroup 6C-16の領主チャクマが見つめていました。
チャクマは、〔カウィール1世〕の妻の叔父であり、生まれた時から〔ウネン女王〕を知っていました。彼女もチャクマを慕うようになり、住居としていたGroup 6D-05から300mの近さの、6C-16によく遊びに来ていました。理知的で表情がいつも輝いていました。男児をもうけられなかった〔カウィール1世〕は、娘が次の王だと公言していました。若い女性が軍の指揮官を兼ねることに、多くの男が内心、不安を感じていました。戦は滅多にないとしても、祭事で女性が中央に立つことに不快感を抱くエリートは少なくありませんでした。
西暦320年
〔失われた世界〕でのカトゥンの祝いが終わり、〔ウネン女王〕が6D-05で眠っていた夜、チャクマは高台に上がり、〔ホル〕の住むGroupの方向の闇を見やっていました。以前から、〔ホル〕の含み笑いや取り巻きとの意味ありげな所作から、何かの陰謀をめぐらしかねないと、思われていました。最近になって、取り巻きが増えたことも、気がかりでした。
一方、〔南ティカル〕の多くのGroupは、世代を遡れないほど長く継続し、雨季に陥没する肥沃な農地を抱えた小高い集落という共通の状況で、相互不可侵の暗黙の了解のもとに生きてきました。いわば、〔失われた世界〕に対する地方エリートのような存在で、王位を強奪するなどと考えたことはありません。そして、ほとんどの領主たちは、〔ホル〕を好ましい人物だとは思っていませんでした。
闇に遠い松明が見えました。進む方向は——、6D-05です。チャクマは伝令を6D-05へ走らせました。
チャクマは丘を降りました。神殿の一つに、10人の若者が待機していました。他に3人の女性。駆けつけた〔ウネン女王〕に平民服に着替えてもらった。おそば付きの中年女性を含めて、総勢15名の仮装交易団が出来上がりました。
チャクマが目を見て囁いた。「いつの日にか、お会いできるのを」
〔ウネン女王〕が澄んだ瞳で見上げた。「感謝します。チャマク叔父さん」
15人が微かな足音をたてて、南方向の夜の闇に消えました。旅団には大量の翡翠とケツァールの羽、カカオの種を背負わせていました。貴重品の準備は、6D-03の領主も手伝ってくれました。
〔ホル〕は追撃隊の主力を西へ向かわせるだろう。だから、こちらは南へ向かい、カミナリフユで海岸部を進む。オアハカを経て、約三ヶ月後にテオティワカンへ入る。先月、〔柱の広場〕には、伝令を送っていたから、匿ってくれるはずだ。そして、逃避行に気づいた領主がいるとしても、告げ口はないだろうと確信していた。
翌日、〔ウネン女王〕が住んでいた6D-05の建築物の破壊が始まった。〔ホル〕は慣例の数年間をおいて、即位するだろう。それを阻止する力は、私にはない。
ウネン女王の推定年表
西暦302年（ウネン0歳）…誕生。
西暦317年（ウネン15歳）…即位…忠実な摂政付き。
西暦319年（ウネン17歳）…忠実な摂政が死去…〔ホル〕派の摂政が付く。
西暦320年（ウネン18歳）…おそば付きと若い家来とともに、テオティワカン亡命。壁画と陶器を造らせたのは、感情移入した〔柱の広場〕の若い長。
西暦340年（ウネン38歳）…恐れ多くて誰も手を出せなかったが、〔柱の広場〕の戦士と結婚。
西暦343年（ウネン41歳）…一人娘のイシュルが誕生。
西暦345年（ウネン43歳）…イシュル2歳。夫は、チョルーラ遺跡の北部の制圧の戦で戦死。以来再婚せず。
西暦366年（ウネン約54歳）…イシュルも〔槍投げフクロウ〕も23歳。
〔柱の広場〕の宴会で、イシュルが〔槍投げフクロウ〕を身染めるのに、ウネンが気づく。
「我が娘よ、〔城砦の長〕と結婚したいのか」と尋ねた。イシュルは「はい」と答えた。ウネンは明日、二人で来ることを伝えた。
西暦366年
イシュルと〔槍投げフクロウ〕は、〔柱の広場〕の建築物44に案内された。内壁全体がマヤ風の壁画だった。それらしき陶器もたくさん置かれていた。〔槍投げフクロウ〕は、ティカルではないマヤの地からスカウトされ、何人かが住んで製造を担っていると聞いていた。
ウネンは〔槍投げフクロウ〕に、「結婚を望むのか」と尋ねた。
「はい、私は娘さんを娶りたいと思っています」と答えた。
ウネンは長い間を置いた。「あなたには、ティカル女王の血筋に関わる覚悟がおありか？」
返答に困った。
隣で、イシュルが答えた。
「私はテオティワカンで生まれ、育ち、この地の人を迎入れようとしています。〔城砦の長〕の妻でも十二分です。彼の地へ女王として戻ることは、夢のまた夢です。どちらでも、私は彼の意向に沿うつもりです」
〔槍投げフクロウ〕が言った。「夢について、この場の約束はできません。でも、あなたの娘さんと結婚したことは、常に私の心にあり続けるでしょう」
ウネンはじっと彼の目を見て、うなづいた。
西暦367年
二人は赤子をお披露目に〔柱の広場〕へ出向いた。
〔槍投げフクロウ〕は、「昨夜、夢を見ました」と短く告げた。
〔ウネン女王〕はしばらく黙った後、聞いた。「イシュルと一緒に見たのですか」
イシュルはうなづいた。
女王は言葉を続けた。
「夢は、悪夢を含みます。イシュルは女性で、彼の地では私の二の舞になりかねません。赤子（＝〔アイーン1世〕）は男ですが、幼すぎて、摂政も立てられないでしょう。この子が10歳になれば、悪夢の数が減るかもしれません」
西暦372年
〔ウネン女王〕が60歳で静かに亡くなった。〔柱の広場〕の高位のマヤ人が、〔城砦〕を訪れて、詳しい事情を話した。〔南ティカル〕のGroup 6C-16が女王を逃してくれた、当時の領主の孫が継いでいる、と話した。
西暦376年
6C-16の領主キマルクは、〔失われた世界〕がある北の方角を見ていた。〔ホル〕の息子の〔イチャーク1世〕が穀物の貢量を五割り増しにしてから、数年経つ。他のGroupの領主仲間も困っていた。多くが、キマルクに代表して交渉してもらうのを望んでいた。だが、請願が通るとは思えなかった。
〔羽毛の蛇のピラミッド〕の頂上神殿の前で、〔槍投げフクロウ〕は北を見つめていた。ここからだと、見晴らしが効く。右手に〔太陽のピラミッド〕があり、正面に〔月のピラミッド〕、その向こうにセロ・ゴルドが広がっていた。あそこからの水が都市の末端まで行き渡るはずだった。
川の途中に、力のある多くは自分の溜池を持つ。しかし、溜池の拡張の度合いが激しく、流域の縁が乾きつつある。それは、全域を枯らす前触れではないか。
中央広場に視線を落とした。8歳の息子はボールを転がして、地面に立てた棒に当てようとしている。妻も一緒に遊んでいる。マヤの香りに満ちた部屋で最初にウネン王妃に面談した時から、私たちの船は川面を静かに滑り、何年もかけて流れ着くように決まっていたのか。
〔槍投げフクロウ〕は決意し、戦士長の〔シヤフ・カック〕に夢物語を細部まで構想するように命じた。〔シヤフ・カック〕は最も信頼できる戦士ソルテを送り、接触させた。
領主のキマルクは若かった。長旅をねぎらい、丁寧に礼を述べた。単独交易者は、「この石には長年の夢が託されております」と仄めかした。
「どんな夢かな」
彼は、先に手元に置いた石のそばに、同じ緑で少し短い黒曜石を置いた。その隣に、黒の、さらに短く細い石を添えた。
キマルクは、異例な並べ方だと思った。そして、もしかしてと困惑した。かつてティカル女王を西の街へ送り出したのは祖父だった、と父から聞かされていた。毎年、黒曜石が贈られてきたそうだ。持ち込み者は何も話さなかったという。3年ほど前、むしろで包んだそれが届いた。父はそれを見て、女王がお隠れになった、と顎を噛み締めた。それ以来、黒曜石は届いていない。
この、三本の黒曜石は何なのだ？
もしかして、女王、娘、孫息子を並べているのか？
そうだとして、それを私に示す理由は何だ——。
キマルクは、微かな示唆を頭の中で繋いでみた。使者は具体的に話さないつもりだ、今は。
広いペテン地方では何でも起こりうる、独裁者がひしめき合っているからだ。しかし、テオティワカンは評議会制だと言われていた。
「風の噂によれば、西の地でも絶対的な指導者のもと、一国が動くようになったと聞くが、そうなのかな」
使者は考えて答えた。
「広い地域を移動するのは交易旅団でしょう。西方では、いまだに国全体を代表して派遣されることは滅多にありません。〔城砦〕という西の国の一部が、厳選された少数精鋭の交易団を送り出そうとしているようだとは、私も耳にしています」
どういうことだ？
小編成の集団が大胆な行動を起こす気か？
事前に私が知るということは、何らかの役割を果たして欲しいと申し出ているのか？
まだそこまでは質問せず、こちらでも調べてみるべき段階だ。
「未来はわからない。しかし、ソルテ殿には近々にもう一度、訪問してもらいたい」
祖父に子供の頃から仕えていた、寝たきりの「ご老人」がいた。領主キマルクが出向いた。
「知っております。秘中の秘の過去です。朧げに覚えておりますのは、私の父が夜、慌ただしくしていたことです。女王の娘さんとお孫さんが来るということは、何か決定的な事を起こしにくる、親方様も巻き込まれる、という事ですね？」
頷いた。
「その申し出を、次回の面談で受け入れるか、拒否するか、ですね」
「ご老人はどう思われるか？」
しばらく黙っていた。
「使者は〔城砦〕と言ったのでしょうか」
キマルクがうなづいた。
「あの方が庇護されていたのは、〔柱の広場〕と耳にしていました。次の面会で、お尋ねになってみてはいかがでしょうか」
「持ち込まれそうな話を広げれば、私は、会ったこともない女性の血筋のために、皆を危険に晒すかもしれない。しかし、私の血筋も、この地で長く続いてきた。数十年前に二つのそれが一瞬絡まり、解けた。再びの交わりを、私は断るべきだろうか」
老人はしばらく考えていた。
「キマルク様が拒否なされれば、西の国、過去に〔城砦〕と親密な交流を保ってきた6D-03に打診するかもしれません。今ではあまり行き来してない6D-03も、断るか、受け入れるかの二者択一です。結果は、成功か失敗です。領主様が断れば——、女王の逃避行に関わったお爺様を持つあなたは、これから長い間、自分は逃げたという思いを抱くでしょう。それは一生続きます」
キマルクは深くため息を継いだ。
「あなた様はお一人ではありません。成功さえすれば、他のGroup領主たちが味方になるでしょう。成功するには、この企てに徹底的に関わる必要があるでしょう」
〔城砦〕へ戻ったソルテは、次回訪問すれば、計画の全てを説明することなると、〔槍投げフクロウ〕と〔シヤフ・カック〕へ告げた。二人は、「予定は多少変化するかもしれないと前置きして、全てを話しなさい。我々二人の名前も出して」と指示した。
一ヶ月の後、6C-16で、二度目の面談が行われた。使者ソルテは計画を説明した。領主キマルクは「今の私の意思の姿です」と、指の先ぐらいの小さな、とても明るい翡翠の粒を差し出した。
三ヶ月たち、使者ソルテが三度目の訪問をした。領主キマルクは、「覚悟を持って、全力で協力する」と述べた。今度は、手の平大の巨大な翡翠の原石を差し出した。
ソルテは〔城砦〕へ戻った。報告を聞き、翡翠を見て、二人は最も重要な部分が成立したと思った。計画は三部に別れていた、評議会とどうするか、1000kmをどう移動するか、ティカルでの幾つかの襲撃パターンを考えていた。プランAでは、投げ槍器と矢の使用が想定された。プランCには、腰布の下に隠せる黒曜石のナイフが求められた。
数日悩んで、二人は結論を出した。
１、評議会を説得し、納得してもらうことは不可能だ。
２、〔城砦〕の戦力なら、テオティワカンを乗っ取れる可能性もある。一方、〔城砦〕が発展したのは、この国のおかげでもある。内戦になれば、互いに傷を負う。
３、黙って出発するのは本意ではないし、誰かに評議会で話してもらう方が良い。重要人物の二人に説明しておくべきだ。その翌朝に、〔離脱〕する。
西暦377年の11月
〔ジャガーの長〕は、夜、〔月の広場〕の入り口で、〔サーラの長〕と合流した。〔死者の通り〕を南下した。二人とも、〔城砦〕の長である〔投げ槍フクロウ〕から非公式な招待を受けていた。
〔ジャガーの長〕は両側に並ぶ神殿を感じ取っていた。以前より高く立派な建物に改修されていた。半分ぐらいの外壁が赤く塗られていたが、そのうち、全部その色に染まるだろう。自分が統括する〔月のピラミッド〕の第5層の更新に、積極的に労力と資材を都合しようと申し出る評議員は少なかった。増築の規模は縮小せざるを得なかった。〔サーラ〕が管轄する〔太陽のピラミッド〕についても、130年前に上塗りした外壁面が崩れて以来、形を整えようという声は上がっていない。
「何やら」と、老齢の〔サーラの長〕がつぶやいた。「穏やかではない気配がする」
〔城砦の長〕は30代の半ばで、評議会ではあまり発言せず、周りをよく見ていると、〔ジャガーの長〕は感じていた。「とりあえず、話を聞いてみましょう」
〔城砦〕基壇の西の中央階段の下で、立派な体躯の男性が待っていた。「歓迎します。私は〔シヤフ・カック〕、戦士長です」と名のった。「こちらへ」
〔ジャガーの長〕が40代の彼を見るのは二度目だった。何かの件で〔城砦〕を訪れた際に、大広場での戦士団の訓練をしていたのを見ている。実戦と見てとれるほどの凄まじい動きだった。また、政府軍での〔城砦戦士団〕は最も規律に厳しい、と言われていた。
周回基壇に囲まれた大広場を歩いた。遠く、〔羽毛の蛇のピラミッド〕を四角の松明が微かに揺らしていた。そのピラミッドの裏側へ歩みを進めた。左右の宮殿の奥で、明かりが灯っていた。人が動いている気配があった。戦士長は、東の基壇の3つの小神殿の中央へ案内した。神殿から少し離れて4人の戦士が立っていた。神殿内部の四角に小さな松明が灯されていた。内壁に沿って回されたベンチの奥の中央に、〔城砦の長〕である〔槍投げフクロウ〕が一人で待っていた。
「ご足労願えて、光栄です。お座りください、〔サーラの長〕殿、〔ジャガーの長〕殿」と北側のベンチをすすめた。戦士長は南側に座った。
「これからの話への、あなた方のご意見を伺いたく、足を運んでもらいました」と間を置いた。「我々は繁栄の中にいる。〔城砦〕も恩恵を受けてきました。しかし繁栄を続けるには、さらなる投資が必要でしょう。それがなされないと、テオティワカンはジリ貧になりかねないと思っています。遠くの農村集落の動きが要です。詳細な理由は、現場に行ってる戦士長にさせます」
「ここ数年、数カ所で、複数回数、外部農村領主たちからの視線に不服を感じてきました。供出数量を減らしてやれば、服従は続くでしょうが、テオティワカンに運び込まれる食料は減ってしまいます。これまで20戦士編成で見回りしていましたが、納得しなくなった彼らを抑えるには40人あるいは50人編成の圧力が必要でしょう。ところが、中心街神殿／住居も近隣集合住宅も、政府軍への召集に、以前の人数を供出しなくなっています。彼らは、徐々に、〔グレート・コンパウンド〕を通さずに、各地区が広域交易に精を出し、建物を立派にし、全体を赤く塗り、内部には綺麗な壁画を描きます。しかし、政府全体への納税と政府活動への労役供給は減少している、と聞き及んでいます」
〔槍投げフクロウ〕が言葉を継いだ。
「奇妙なことに、遠くの農業集落の動きと同じと言ってよろしいか、と思います。これを是正すれば、両方が解決するでしょう」
長い沈黙があった。
「〔城砦の長〕よ」と〔ジャガーの長〕が言った。「具体的には、政府軍を増強して欲しい、ということかな」
〔シヤフ・カック〕が口を開いた。
「評議会のメンバーの各地区に集まっている富を、政府へ向けて欲しい、ということです。テオティワカンという国家のために」
〔ジャガーの長〕は自分の胸に聞いてみた。〔ジャガーの神殿〕も富を内に留めている。ほぼ全地区がそうしている。我々は一旦手にした富の一部を手放せるものだろうか。
〔サーラの長〕が大きな声を出した。「今までやってきたことでは駄目だと言うのか！ 大それたことだ。馬鹿げている」
〔城砦〕の二人はじっとしていた。〔ジャガーの長〕はそれを見て、二人はそういう反応を予測していた、と気づいた。もちろん、私の反応も。
〔ジャガーの長〕が質問した、「政府軍の人員を増やせば、軍事的な政府になりかねない。言葉を変えれば、我々は軍事国家になるべきだ、ということかな」
〔槍投げフクロウ〕が重ねて答えた。「軍事増強は、食料事情を救うはずです」
「この話を進めると、誰か一人が総司令官となり、軍事独裁制国家が生まれる、というように聞こえる。それでは、営々として築き上げてきた政体ではなくなってしまう——」
「西暦120年から今日までは、誇りとなる年月です。しかし——」
「しかし、明日からは変わるべきだ、というのが〔城砦〕の意見なのだな？」
自分の意見でもあり、おそらくは評議会の多数の意見となりそうな指摘をした。「テオティワカンは今のやり方で保たれている。軍事国家に変われば、近隣集合住宅民が徴兵されるのを恐れて、故郷へ帰るだろう。工房の生産量が減れば、交易が細まり、別の形でテオティワカンは崩壊する。そこを、あなた方はどうするのか」
二人とも返事をせず、〔ジャガーの長〕を真っ直ぐに見続けている。まだ明かしていない何かがある、と〔ジャガーの長〕は感じた。それは何だと慌ただしく探った。まさか、と言えるアイディアが思い浮かんだ。
〔投げ槍フクロウ〕の妻は〔柱の広場〕に住んでいた女性だ。マヤのあの都市の女王の娘だ。ならば、10歳になるかならないかの〔槍投げフクロウ〕の息子は、かつてのティカルの女王の孫だ。まさか、テオティワカンを第二のティカル王国にしようというのか。
「〔城砦の長〕よ。ご子息と関連してくるのか？」
〔城砦の長〕の唇が笑ったように見えた。「〔ジャガーの長〕よ。あなたの目は、多くを見通せるようですね」
いや、と〔ジャガーの長〕は思った、クーデターを起こす気なら、我々に話すはずはない。ならば、まさか、その家系を伴って、そこへ行こうとしているのか？ かつての「王家の血筋」を持ち込めば、正当化されると判断しているのか？ いまだに彼の地にツテがあり、彼の地の情報を得ているのか？ 荒唐無稽だが、この二人なら可能性はゼロではないとも判断できた。背筋に冷や汗が流れた。
〔サーラの長〕が低く太い声を発した。「今みんなが潤っている。お前たちが栄えているのも国のおかげだ。何を企んでいる？」
だが、私たちは〔城砦〕の今日の言葉を否定できるのか？ 自分たちは、まさに、戦士長が指摘した状態にあるのではないか？ だからと言って、独裁制にするには、多分、おそらく、評議会制の成功が長過ぎた。
〔城砦の長〕が立ち上がると、戦士長も立った。
〔ジャガーの長〕は、対話は終わり、私たちの意見を必要としていないと感じた。
「今晩、いらしていただき、感謝します。これまでにも、感謝します。私たちの言葉を、一度だけでもいいから、お二人に聞いていただきたく、話しました」
否応なく、〔サーラの長〕も立ち、小神殿を出て行った。遅れて出ようとした〔ジャガーの長〕に、〔シヤフ・カック〕がささやいた。
「明日の早朝、出発します」
彼らが出ていけば、〔城砦〕はこれまでの〔城砦〕ではなくなる。管理人が不在の施設となるだろう。
帰り道で、〔サーラの長〕は憤慨していた。
「あいつら、言いたいことだけ言って、俺たちに帰れってか」
〔ジャガーの長〕は、あの二人はもう止められないと自覚した。
「彼らを止められない。大事なのは、我々がどうするかだ」
次の日の夜明け前から、〔ジャガーの長〕は一人で東の門で待っていた。松明を灯した人の列が〔城砦〕から出てきた。30人ほどが大規模交易団の扮装をして東へ〔離脱〕する。これは本当に起こっていることなのだ。
〔槍投げフクロウ〕が歩み寄った。「見送りに感謝します。私たちは戻りません。今までお世話になりました」と言い残した。
ずっと前から、彼らはテオティワカンを見限り、準備していたのだ。〔ジャガーの長〕は唇を歪めた。
西暦377年11月初め
緊急評議会が開かれた。〔ジャガーの長〕が「ご覧のように、〔城砦の長〕は出席していない。これからも出席しない。なぜなら、彼らはテオティワカンを出て行ったからだ」と発言した。隣で〔サーラの長〕が苦虫を潰していた。彼には、ティカルという文言を口止めしていた。ただ、何かの拍子に漏れて、〔城砦〕一行に影響が生じても、それは彼らが対処すべき問題だ。評議会にとって重要なのは、事実を知り、対処することだ。
みんなの視線が〔ジャガーの長〕に集まった。
「先日、私と〔サーラの長〕殿が呼びつけられて、最後の言葉を聞いた。彼らは去った、永遠に」
「去ったって、どこへ」
〔サーラの長〕が一歩前に出て言った。
「あいつらは、東へ向かい、新たな都市国家を手に入れるそうだ。とんでもない奴らだ」
〔ジャガーの長〕が入った。
「どんな事情があれ、〔城砦〕の連中はいなくなった。理由を探っても、彼らは戻らない。そうなったテオティワカンをこれからどうするかが、評議会が考えるべきだ」
ひとしきり怒号が飛んだが、非難を向けられるべき〔槍投げフクロウ〕はもうここにはない。実は、〔羽毛の蛇のピラミッド〕の〔羽毛の蛇〕の群に違和感を感じていた評議員も多かった。〔城砦〕はサン・フアン川以北からは遠目にしか見えない。高く長い基壇が強固な外周壁となってそびえている。外からは中で何が行われているのか全くわからないことにも、〔城砦〕からの絶対的な拒絶が感じられた。騒然とする評議会場で、一人、〔柱の広場の長〕だけが、何かを察して呆然としていた。
以下が決められた。
１、〔羽毛の蛇のピラミッド〕を抹消する。
２、最も大事な西面を、アドサダで覆い隠す。
３、〔城砦〕からの評議会議員は、別の地区から送り込む 。
さらに、〔西の広場の長〕は「中庭の〔羽毛の蛇〕を埋納する」と宣言した。〔テティトゥラの長〕も小さな壁画と陶器を壊して埋める、と発言した。
〔ジャガーの長〕は、我々は変われない、と悟った。
翌日、〔柱の広場の長〕が〔ジャガーの神殿〕を訪ねた。
彼は、憔悴しきっていた。不安な目つき、少し震える声で〔ジャガーの長〕に尋ねた。
「彼らの〔離脱〕には、イシュルが関わっているのか、〔槍投げフクロウ〕の妻が」
〔ジャガーの長〕は静かにうなづいた。
〔柱の広場の長〕は長い間黙っていた。
「〔ジャガーの長〕よ。私は取り返しのつかない事態を引き起こした人々を受け入れていたようだ。〔月のピラミッド〕の第6層の工事が始まると聞いているが——」
「小規模な増築ですが。そうです」
「第5層の上部に、墓室を造ってくれないか。3名を、尊厳を伴って葬りたい」
マヤ縁の客人の上位者だろうと思った。
「残りの35名は、〔柱の広場〕の広場50の西に埋める。建築物44の彼らの壁画も、剥がして埋めよう」
亡命時の家来たちは20年ほど前に死去していた。第二世代の家来たちは拘束されて〔月のピラミッド〕の埋葬5に連れて行かれても、一言も発しなかった。
西暦377年12月
〔槍投げフクロウ〕は、乾季を選んでいたのだが、1,000kmは楽ではなかった。
海岸沿いを急ぎ、ジャングルに入ってからは足が遅くなった。途中、大きな集落をいくつも通った。パレンケPalenque、ポモナPomona、そこからボートを借りた。エル・ペルー・ワカEl Peru-Huaca、エル・ソッツEl Zotzなどでも、領主たちに記念のパチューカPachuca産の緑の黒曜石を進呈し、食料を分けてもらい、空けてもらった住宅や小屋を借りた。まだ先まで行かなくてはならないと、あくまでも交易団の体裁を保ってきた。
ティカルへは南から入った。広大な緑の緑地の至る所に丘があり、各領主の館が無数に建っていた。何度か訪問したソルテの案内で、滑らかに6C-16に入った。
領主キマルクの前に、まず、女王の娘イシュルが進み出た。彼はウネン女王を見ていない。だが、イシュルの瞳を見た瞬間に、様々なことがわかった気がした。
彼女の傍に男児がいた。その両脇に、歳の差が少しある男性二人がすくっと控えていた。少し離れた後ろに、使者ソルテがいた。
イシュルが名乗り、男児を紹介した。続けて、〔槍投げフクロウ〕と〔シヤフ・カック〕も自己紹介した。
領主は覚悟を新たにしたが、高揚を覚えた。
「長旅は大変だったでしょう」と労った。「部屋を用意してあります。食べ物もあります。まずは、体を休めていただきたい」
27人が休息している間に、別室で二人はソルテを伴って、領主と話し合っていた。
「あなた方の情報は漏れていないようです」と領主が言った。
二人は頷いた。ここへ近づいてもティカル軍の気配は皆無だった。先に放っていたスパイからも、〔失われた世界〕での変化はない、と報告されていた。
〔槍投げフクロウ〕は、王に表敬することは可能ですか、と尋ねた。謁見は可能だと領主は答えた。〔シヤフ・カック〕は「プランCで」と、〔槍投げフクロウ〕に進言した。
領主が尋ねた、「参考までの、AとBを聞かせてくれないか。そちらの方が良いかもしれない」
〔シヤフ・カック〕が答えた。「Aは主だった人物の住居への夜襲です。Bは一人ずつの暗殺です」
領主が考え込んだ、「Cがベストだろう」
領主は地面に〔失われた世界〕の見取り図を描いた。
「通常、交易団に対して神殿室は使われない。木造の部屋が立っている、5D-86と88の間だ。西の外壁はないから、広場から見える。裏に小さな出入り口があり、捧げ物はそこから神殿内の保管庫に持ち出される。そこで三人に分配されることは、みんなが知っている。
王はここに座るはず。かなりの老人だ。その両脇に、額に傷のある中年と、次の王位を狙っている若い鷲鼻が控えるだろう。なぜなら、彼らは訪問者からの寄贈品の分配を気にするからだ。
槍を手にして、形だけの護衛するのは数名だろう。その三人の一人でも隣席しない場合に備えて、それぞれの住居に４人ずつ、私の戦士を派遣しておく]
西暦378年1月16日
翌日、謁見を許された。〔城砦〕団はそろそろと、表敬訪問小屋の前に歩み出た。領主キマルクが、〔イチャーク1世〕に言った。「彼らは西からやってきて、さらに東へ向かいますが、王に表敬したい、と申し出ています」
ソルテから布包みを受け取り、〔槍投げフクロウ〕が両手に乗せて王に捧げ出した。鮮やかな緑色黒曜石の十数本のナイフが並んでいた。三人が目を奪われた瞬間、傍に控えていた領主キマルクが、鋭く口笛を吹いた。〔槍投げフクロウ〕が素早く一本だけを布でくるんで握った。飛び出して〔イチャーク1世〕が慌てて差し出した腕を払い、喉を真横に切り裂いた。ほぼ同時に、〔シヤフ・カック〕が額の傷の男に、ソルテが鷲鼻に襲いかかった。〔城砦〕の戦士と領主の護衛官が近くの衛兵に切り掛かかっていた。騒然となった。少しは離れて、イシュルと息子が、数人の〔城砦〕戦士に囲まれて、守られていた。
〔失われた世界〕が静まり返った。表敬訪問小屋は血の海だった。〔城砦〕戦士のほとんどが顔や腕に返り血を浴びていた。ナイフを握りしてめ、その場で荒い息をしていた。広場にいた人々はあっけに取られて、遠巻きにしていたが、動こうとはしなかった。
領主キマルクが、横たわっている〔イチャーク1世〕のそばに歩み寄って、遠巻きの住民へ大声を出した。
「王は死んだ。新王が即位する」
護衛と一緒に母子が基壇に近づいた。登り切り、広場を向いた。
「年配者は覚えているだろうか、昔、ウネンという女王がいたことを」
周りの目が彼女に集まった。
「私はイシュル。数十年前、ティカルを追われた〔ウネン女王〕の娘です。彼女は西のテオティワカンという国に匿ってもらい、数年前に死去するまで、遠いこの地に思いを馳せていました。新王となるのは我が息子です。〔ウネン女王〕の孫です」
ざわつきの中で、一人がウォーッと叫び、拳を握った右腕を上げた。キマルクは、6D-03の領主だとわかった。そろそろと右腕が上がり始め、大声になった。承認の意思表示だった。キマルクは、今横たわっている前王の圧政が終われば、それだけでも歓迎するのではないか、と感じていた。流血が三人で済むなら、大変結構なことなのだ。
傍に立って広場のティカル人たちを見つめていた〔槍投げフクロウ〕の左足に激痛が走った。生き絶えたはずの衛兵の一人が、倒れたまま、槍を横殴りに払ったのだ。〔城砦〕戦士が覆い被さって、喉を完全に切った。〔槍投げフクロウ〕の傷は深かった。
西暦378年4月
〔ジャガーの長〕が放った部下がティカルから帰った。「彼らは彼の地に〔到着〕し、君臨しています。〔南ティカル〕で、廃墟だったGroup 6D-05の建築が進んでいます」と報告した。
〔槍投げフクロウ〕は命を取りとめたが、左足はほとんど動かせなかった。住居にしている〔失われた世界〕の小さな神殿に、〔シヤフ・カック〕を呼んだ。
「戦士長よ。我々は成し遂げて、私はこうなった。自力で神殿に登れず、戦に参加できないなら、立場をわきまえなくてはなるまい。相談だ、息子の摂政になってくれ。内政も外交も軍隊も率いてくれ」
〔シヤフ・カック〕は黙っていた。
「西の評議会と違って、煩雑な手続き抜きで思う存分、実質的支配者としてティカルという巨大都市国家を運営できる。実は、戦士長の望むことだろう」
「私はずっと、あなたの副官です」
「思い通りにならない時はいずれ来る。私の場合、予想よりちょっと早かったが。戦士長、予期せぬ事態は遅かれ早かれ、貴殿にも訪れよう」
「あなたの役職はどうなりますか」
「新王の父であり、王女の娘の夫であり、〔シヤフ・カック〕という男と、夢のために1000kmを旅してきた。他に望む地位はない。摂政殿は〔失われた世界〕を闊歩すれば良い。私は、6D-05が建てられた時点で、妻と穏やかな生活に入る」
ティカルが562年にカラコル都市国家とカラクムル都市国家に攻め込まれるまで、二人が構築した体制が184年間も継続しました。
